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なんでもみかん箱(その他入れ)

彗星の時代

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 ハレー彗星。
 楕円軌道を持ち、約七十六年に一度、姿を現す太陽系の天体である。地球に近づいてくると、数ヶ月間は地上から肉眼でも見ることができる。
 最近出現したのは一九八六年(昭和六十一)、二月九日に近日点(軌道上で最も太陽に近い位置)を通過した。次に現れるのは二〇六一年の夏と予測されている。

 一八世紀初頭、イギリスの天文学者エドモンド・ハレーは、ある天体が周期彗星であることを発見し、軌道計算から次回の出現日を予言した。ハレー自身はこの彗星の回帰を見ることなくこの世を去ったが、後の観測により、その予言が正しかったことが証明される。彼の功績を称え、この彗星は「ハレー彗星」と名づけられた。

 彗星の存在は古くから知られており、その出現は、過去の記録に数多く見つけることができる。それらの中からハレー彗星と断定できるものを探すと、中国の歴史書『史記』に記されたものが最も古く、紀元前二四〇年六月に出現したとされている。

 それは、人々が太古より空を、星を眺めてきた証拠でもある。人々は太陽、月、そして夜空の星々を観察し、記録し続けた。そして天体の運行から季節の移り変わりを知り、潮の満ち干きを読み取り、方位を測った。またあるときは、国や人の運命、その吉凶を占った。

 いつものように星空を見ていると、普段は何もないはずの空間に、ある時突然星が現れる。彗星の出現は、昔の人々にとっては大事件だった。
「これは、何かよくないことが起きる前触れに違いない」と、ある人は騒ぎ、ある人は祈った。
 飢饉や災害、疫病、戦争、高貴な人物の病気や死など、とらえ方は様々だが、当時の人々は大抵、彗星を凶事の前兆と考えることが多かったようだ。
 科学が発達した現代では、さすがにそうした騒ぎが起きることはない。事実、前回ハレー彗星が出現した一九八六年には、多くのアマチュア天文家が観測しやすい南半球に移動したという「観測ブーム」があったくらいである。

 しかし、その前の出現、つまり前々回のハレー彗星出現の折には、世界規模で大騒ぎになったと言われている。
 即ち、「人類滅亡の危機」の到来である。
 その危機は、彗星の「尾」がもたらすと考えられた。

 彗星は、太陽に接近すると尾を発生させる。その尾の中を、地球が通過することが判明したのである。その時は、日本時間で五月十九日十一時二十二分と正確に予測された。
 彗星の尾には有毒物質であるシアン化合物のガスが含まれているため、その中に地球が入れば生物は全滅してしまうという噂がどんどん広まっていったのである。

 日本ではこの話がさらに飛躍し、「地表で約五分間、無酸素状態になる。この五分を耐え抜けば大丈夫」などという噂も一部で出現したようである。この噂を信じた人は酸素を確保するために自転車のチューブを買い集めたり、水を張った桶に顔を突っ込み、五分間息を止める訓練をした。他方、すっかり諦めた人は、全財産を遊びにつぎ込んだり、ただ嘆いたりした。中には絶望して自殺した者もあったという。

 科学者達は、パニックを鎮めようと必死だった。
「大丈夫です。全滅どころか、何も起こりませんから大丈夫です」

 かくして運命の日、ハレー彗星が地球に最接近した。世界中の人が、空を見つめていた。 そして、何も起きなかった。科学者達の言うとおりだった。
 彗星の尾に有毒物質が含まれていることは事実であったが、ガスが非常に薄いため、地球の大気圏を突破して地表に到達することはなかったのである。
 時に一九一〇年、今よりおよそ百年ほど前のことである。

 当時、科学はめまぐるしい進歩をとげていたが、現代から比べれば一般大衆の科学知識は未熟であったと言える。その分、たとえ中途半端な知識に基づく憶測であっても、そこに何らかの科学的な根拠が存在することで、噂はリアリティを持ち、みなが信じてしまった。そして同じくこの時代に大きく発展したマスメディアの存在が、地域や国境の壁を越えて短時間にその噂を世界中にばらまき、人々の恐怖心を煽り、人類史上最大の彗星パニックを引き起こしてしまったのである。文明の発達が引き金となった「時代が生んだパニック」とも言えるものであった。


 安藤百福が生まれたのはちょうどそんな時だった。明治四十三年三月五日。西暦にすると一九一〇年である。既に天空にはハレー彗星がその姿を現し、七等級ほどの明るさで観測されていたらしい。日に日に近づき、明るくなってくる彗星に人々が不安と恐怖を増大させていた頃である。

 このことから、百福は「ハレー彗星の申し子」と言われることがある。
 彗星が不吉なことの前触れであるかどうかは別にして、この頃世界が激動の時代に向っていたことは確かである。日本は既に日清戦争、日露戦争を経て、その勢力をアジアへ伸ばしていた。韓国を併合し、植民地としたのも同じく一九一〇年である。そして四年後には第一次世界大戦が勃発、さらにその後は世界恐慌や第二次世界大戦と続いていく。

 事業を企て経営する者は、時代と無関係でいることはできない。若くして事業家となる道を歩むことを決意した百福は、そうした国際社会の騒乱、時代の波に否応なく巻き込まれていくことになる。
 時代を読み、うまく流れに乗ることもあったし、振り回されることもあった。それによってあるときは大きく飛躍し、またあるときは多くの財産を失うことになった。非常に浮き沈みの激しい人生だったと言えるだろう。
 百福自身も、後年自らの人生を振り返ったとき、生まれた年についてこう語っている。
「波乱の多い人生を思うと、私にふさわしい幕開けであったかもしれない」


【解説】
 これは伝記原稿の一部です。
 主に中高生を主要読者とした、経済人の伝記シリーズを作ろうという、とある企画に参加させていただき、書いたものです。あとちょっとで出版する段階まで進んだのですが、諸事情により企画は凍結してしまいました。
 原稿は大幅に規定枚数を超過しているものの、ほぼ完成に近い状態となっており、先方に預けたままになっています。初めての伝記ではありましたが、大いに勉強になり、また楽しかったです。せっかく書いたのだから、どうにかなって欲しいと願ってはいるのですが、状況は固まったままです。
 で、少しくらいならいいよね、という気持ちで、ちょっとだけ、冒頭部分だけ載せちゃいました。ここは引用もないので、参考文献リストも必要ない部分です。
 怒られちゃったら、ここは削除することになりますので、ご了承願います。
 内容は、インスタントラーメンを発明し、事業化に成功、日清食品を創業した、安藤百福(あんどうももふく)氏の伝記であり、この「彗星の時代」と銘打った部分は冒頭、イントロに当たる部分となっております。



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