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「犬の肉球ブログ(連載中)」
【桃子編】 三 オーディション

犬の肉球ブログ 桃子編三 オーディション 第四話

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三 オーディション 第四話

 会場は品川駅からほど近い貸しホール。あまり大きくはないが、まだ新しく、手入れの行き届いた小奇麗な建物だった。
 桃子は一度立ち止まって、ゆっくり深呼吸をしてから、入口に向って足を進めた。ふと見ると、周囲にも同じように深呼吸をしたり、建物を睨むように見上げている若い女が何人もいた。皆桃子の敵というわけだ。

 受付では名前の他に体のサイズも訊かれた。二次審査を通過した場合、次は水着審査になる。その水着は主催者が用意したものを着用するため、サイズの確認が必要らしい。ここであまり大幅にあれこれごまかすと、後でバレてしまう寸法だ。
 でかいパッドでも持ってくればよかった、と一瞬思ったが、もう後の祭り、正直にサイズを伝えた。今回参加している雑誌は全て女性向けファッション誌だから、男が見るグラビアモデルを求めているのではない。重要なのは全身のバランスで、巨乳が圧倒的に有利というわけではない筈だ。しかし隣で、「えー、あたしのサイズ何だっけ? 九四センチのD、って、十三号で合ってます?」と申告している女が一瞬恨めしく思えた。

 建物の中は五百人収容できる大ホール、百五十人収容の小ホール、多目的ルーム、他に会議室がいくつかあった。オーディション会場は小ホールで、多目的ルームが控え室、その隣の会議室が更衣室に充てられていた。

 とりあえず控え室に向おうとすると、更衣室から美沙が出てきた。
「あっ、センパイおはようっす」
 今日を今後の人生を左右する転機のつもりで全力で挑戦する、そう言っていた美沙の勝負服は、なんとピンクのジャージにニット帽だった。
「どおしたのお、それ?」桃子は驚いて固まってしまった。
「うーん。自分らしさと個性の両立って言うんっすか。素直になんちゃって制服で勝負するか朝まで迷ったんすけど、こっちの方が楽でいいかあって感じで決めたっす」
「自分らしさと個性の両立ねえ・・・・」
 どっちも同じじゃねーか、と突っ込みたかったが、競争相手に無用なアドバイスはするまいと思い直した。
 それに、目立つという一点においては効果はあるだろう。普段着の審査では、あまり流行を気にしても、そういう格好をしてくる者は多いのでかえって周りと同化してしまう恐れがあるのは確かだった。

 雑誌のモデルということを踏まえれば、少し大人っぽく、スタイルや線の細さを強調する方向性でまとめようと桃子は考えてしまうが、美沙の場合は生まれつきのロリ顔だから、むしろそれを活かして徹底的にロリに徹するということだろう。長い髪は殆どニット帽の中に納まってしまって、ただでさえ丸い顔が余計に丸く見え、幼さを引き立てている。
 よく見るとピンクのジャージには有名高級ブランドのエンブレムが刺繍されていた。あまりダボダボにせず、辛うじて外見からも体型が想像できる具合になっており、その辺りに美沙の計算の痕跡を窺うことができた。
「なるネエも、今更衣室でお着替え中っすよ」
 そう言って美沙は控え室に消えた。

 そうだな、先に準備してしまおうと思い、桃子も更衣室に向うことにした。
 桃子は特に着替える予定はない。着てきたままの、ロゾーネ柄のワンピースで勝負するつもりだった。他の参加者の服装や今日の天候なども考慮し、白やベージュのカーディガンやレギンスも何色かバッグには入れてある。周囲を見渡すと、どうやら桃子と被っている者は見当たらなかった。あとは念のためのチェックとメイクの直しだけだ。
 中に入ると、人いきれといろんな化粧品の匂いが混ざって噎せ返るようだった。窓はブラインドを降ろしてあるので一層閉鎖的な空気が漂っている。
 デパートの試着室のような急ごしらえの着替えコーナーが六か所あるが、順番を待ちきれなくて、そこらで平然と着替えをしている女も多い。壁際や窓際には鏡や机が所狭しと並んでいる。窓際のところに成美がいて、鏡を覗きながら睫毛の手入れをしていた。

 桃子がその隣に腰掛けると、気づいた成美はおはよう、と明るく声をかけてきた。
 その成美を見て、再び桃子は固まってしまった。
「成美さん、その格好――」
「うん。普段着の審査だし、これでいいかなって」
 中野で会うときによく見る服。成美の勤めているネイルサロンの制服だった。
 確かに成美にはよく似合っていて、いつも美沙が言っているようにカッコいい。でもこれはあくまで仕事着だ。シンプルすぎる。
「まあまあ、そんなに驚かないで」
「驚くよお。美沙もジャージだったし、なんかみんな変すぎ。正直、それでいけると思ってるのお?」
「うーん、どうかなあ、難しいかもね。でも服の良し悪しの審査じゃないし。受かる人は何着てても受かるものよ」
「それは、そうかも知れないけどお」
「それに、ちょっと心境の変化みたいのがあってね。せっかく応募したから出ることにしたけど、もう気張るのやめることにしたの」
「どういうこと?」
「いいじゃない、私のことは別に。それよりも早く準備しないと始まっちゃうわよ」
 成美は笑いながら更衣室を出て行った。

 成美の言うとおり、今は他人のことを気にしている場合ではない。自分のことだけに集中しなくては。気を取り直してメイク道具を取り出し、せっせと作業を始めた。
 今日は涼しかったので汗もかいていない。アイロンで緩く巻いた髪を軽く手直しするだけで終了してしまった。

 控え室はただ椅子がずらっと無造作に並んでいるだけ。壁際には麦茶の入ったタンクが置いてあった。遠くで、桃子に向って美沙が手招きしているのが見えた。美沙の隣には成美も座っている。どうやら席を確保しておいてくれたらしい。
 センパーイ、と大声を出して手を振ると、ピンクジャージ姿は確かに目立つ。

 もうすぐ開始時間なので、参加者のほとんどは着席していた。その中をかつかつと歩いていくと、あらゆる方角から値踏みの視線が集中してくるのを感じる。
 このぴりぴりとした空気が桃子は苦手だ。少しでも隙を見せようものなら、足を引っ掛けられたり、うしろから卵でも投げつけられそうな気がするのだ。
 中には明らかな敵意を持ってガンを飛ばしてくる女もいる。だが挑発に乗ってはいけない。桃子の経験では、そういう奴に限って大したことはない。自信がないから相手を威圧するのだ。そうやって人を負の感情で睨む自分の姿がいかに醜いか、一度鏡でもみせてやりたい。とにかく堂々と、他の女と目を合わせないように歩かなくてはならない。

 そういえば昔、遠足で猿を見たことがあった。野生の群れを餌付けしている場所で、周りが猿だらけの中を歩いていくのだ。そのとき先生が言っていた。目を合わせると襲ってくるかもしれないから気をつけて、と。
 そうか、こいつらサルと一緒か。
 そう思ったら、気持も足取りも軽くなり、唇の端には微かに笑みも生まれた。

「あいー、センパイ、席とっといたっす」
 迎え入れてくれた美沙は、なんだかいつもより柔和なオーラが出ていて、穏やかな表情だった。こういう顔は余裕があるときか、肝が据わったときに作られる。こっちの方が、さっきのガン垂れ女よりよほど強敵だ。
 隣の成美も静かな凪ぎのような顔つきだ。
 ジャージと仕事着に挟まれて、自分だけが場違いなところにいるような感覚に襲われてしまう。
「なーんかセンパイ、余裕って感じの表情っすね」
「そおかなあ」美沙に言われて桃子は少しだけ嬉しくなった。サルに感謝しよう。

「桃子ちゃん、美沙ちゃん、がんばってね」
 成美が口を開くと、美沙は怪訝な面持ちで口答えした。
「なんすかーそれ? 他人事みたいに。なるネエだってがんばるっすよね?」
「あはは、そうね、一応ね。でも私は自然体で行こうと思ってるから。今回に人生懸けますっていうあなたや桃子ちゃんには敵わないんじゃないかと思って」
「そんなことないっす。気持ちも方法も人それぞれっすよ。とにかく頑張るっす。ね、センパイ。でも気合じゃ負けませんからー!」
「うんうん。お互いがんばろお」
「ういっす。今日をターゲットにいろいろやってきたから、元手をとるためにも上にいくっす」
「いろいろって、美沙ちゃん何をしてきたの?」
「このジャージを買って、ダンスのレッスンも始めたっす。それにエステと整体。体の歪みを直したら、身長が一センチも伸びたっす」
「へー、すごーい。感心感心」
「センパイは何かやりましたかー?」
「あ、私? うん、ちょっとだけね・・・・でもお、秘密」
 桃子は愛想笑いでごまかした。今日のためにやってきたことといえば、気合を注入するくらいだ。エステなどを考えたこともあったが、もうすぐ引越しを予定している桃子には最早金銭に余裕がなく断念した。
 お金のある人はそうやって自分を磨くことができる。何もしていない自分が浮いているようで心細くなってしまう。

「人は人、自分は自分だからね。美沙ちゃんの言うとおり、気持ちも方法もそれぞれよ」
 成美がそっと肩に手を置いて、桃子に囁いた。
 バイト先でよく出会う彼女には、桃子が大した準備をしていないことはバレバレである。
「・・・・うん」どうしていいかわからず、桃子はただ頷くだけだった。
 成美って、うざい。ていうか、超うざい。

(第五話につづく)




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