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「犬の肉球ブログ(連載中)」
【桃子編】 七 引越し

犬の肉球ブログ 桃子編七 引越し 第四話・その一

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七 引越し 第四話・その一

 食後に成美は、今度はとびきり苦いコーヒーを淹れた。ココアの甘さに慣れた舌に、それは強い刺激となって、桃子の気分を引き締めた。

 さらに食器を片付けてから、煎餅やかりんとうの袋をたくさん抱えてこたつに戻ってきた。食べるように勧められても、桃子は手をつけなかった。これ以上食べるのは明らかにオーバーカロリーだ。
 既にモデルを諦めた成美は、自身の体型や体重など最早思慮の外、と言わんばかりにお菓子を次々とほお張っていく。

 今日はそのまま成美のマンションに泊まることになった。
 あの部屋に独りで帰るのは怖かったし、他に行くところもない。
 夕飯も成美が作ってくれた。ご飯に味噌汁、焼き魚に煮物と、久しぶりに家庭料理を堪能できた。桃子は料理が苦手で、普段は外食かコンビニ弁当ばかりだった。

「お風呂、使っていいからね」
 夕食後、成美がそう言っても、食後の余韻のせいでお尻に根が生えたように、こたつから出ることができない。
「うー。このまま寝てしまいたい」桃子は床に転がり、こたつに潜り込んでしまった。
 全身を包む暖かさと満腹感の心地よさが、次第に眠気となって桃子の意識を体から引き剥がしていく。

 しかし、成美が桃子の体を強引にこたつから引っ張り出したため、ささやかな幸福はあっけなく消えてしまった。
「こら、早くお風呂はいりなさい!」
 不承不承、桃子は浴室に向った。面倒くさかったが、マンションに帰っても自分の浴室を使えないでしょう、という成美の説得が的を射ていたからだ。

 風呂から上がり、成美が用意してくれたスウェットを着てリビングに戻ると、タイミングを計ったように成美はコーヒーを出した。こたつに入り、生乾きの髪にタオルを当てながらすすっていると、満を持していたかのように、じっと身構えていた成美からの質問攻めが始まった。

 質問内容は当然、桃子のマンションでの出来事についてだ。
 ここまで世話になっておいて、何も言わないわけにもいかないことは桃子も承知している。気分もだいぶ落ち着いているし、ここは桃子の部屋でもない。今は思い出しても大丈夫そうだった。

 桃子はまず、今日起きたことを説明し、これまでのミーナとのブログのやり取りを思い出しながら全て話した。『爆発させてやる』というコメント付きのカウントがゼロになったあと、浴室のガラスが割られ、ドアには男の精液が付着していた。誰がどう考えても、ミーナの仕業に違いない。
 そうであれば、以前浴室に雑誌のエロ写真がばら撒かれたのもミーナの仕業と考えた方が自然だ。
 また、ミーナは十中八九、男であることも判った。

 話が一区切りついたところで、成美はコーヒーのおかわりと、ノートパソコンを持ってきた。
「その後は、特にブログに変化はないみたいね」
 成美は桃子のブログにアクセスし、ディスプレイを桃子にも見せた。確かにあれ以来、何の変化もないようだった。だが、またいつミーナのコメント攻撃が来るかわかったものではない。一応アクセス拒否は再度設定したが、そんなものは通用しないような気がしている。

「でも驚いたわ。そんなことが起きてたなんて。独りで悩まずに、もっと早くに相談してくれればよかったのに」
「独りで悩んでいたわけじゃないよお。今までは、亜衣に相談してたのお」
 でも、今は連絡がつかない。それを聞いて成美はたいそう驚いて、自分の携帯とパソコンでメール送信を試した。
「あら、ほんとね。気づかなかったわ」

 亜衣が成美とも連絡を絶っていることは、少しだけ桃子の慰みになった。桃子だけが仲間外れにされたのではないらしい。
「まあ、亜衣ちゃんのことは、ひとまず置いときましょう。あとで美沙ちゃんにも訊いてみるわ。今はもっと大変なことが起きているんだから」
 成美はさらにコーヒーのおかわりを淹れながら言った。桃子にもおかわりを勧めたが、胃がもたれそうなので、冷たいウーロン茶にしてもらった。

「・・・・それで桃子ちゃん、これからどうする?」
「どうするって言われてもお・・・・どうしたらいいと思う?」
「うーん。私、こういうストーカーみたいのに狙われた経験ないしね。警察に相談するという手もあるかもしれないけど・・・・。ねえ、ところで桃子ちゃん、ミーナって奴が一体誰なのか、思い当たる人物はいるかしら」

 桃子は大きくかぶりを振った。
 成美はパソコンに桃子のブログを表示して、桃子に見せた。
「ミーナの正体が判れば何か対策が思いつくかもしれないわ。もう一度書き込まれたコメントを読んで、何か手がかりになることがないか確かめてみて」
 言われた通りに、桃子は改めてミーナのコメントを全部読み返した。いくら読んでも気分が悪くなるだけだった。

「じゃあ今のところ、ミーナの手がかりとしては、まず男であること、桃子ちゃんのブログを読んでいること、それから桃子ちゃんの住所を知っていること、くらいかしら」
 成美は呟きながら、桃子の隣でブログを読み始めた。
 言われてみればその通りだった。それらの条件全てに当てはまる人物がそれほど多いとは考えられない。そして、さらにもう一つ「桃子の知り合い」という条件を加えると、該当者はごく僅かに絞られる。

「ねえ、これって手掛かりにならないかしら?」
 成美はミーナの一番古いコメントを表示した。桃子も読んでみたが、特に気なるところはない。すると成美は、コメントの内容ではなく、と言って画面のある部分を指差した。
「日付よ。これ以前は、私が書いたコメントが一件あるだけだわ」

 桃子のブログは成美が初めての訪問者だ。それから約一週間後に、ミーナが現れた。これは単なる偶然だろうか。
「この頃になにか変わったこと、起きてない?」
 思い当たることといえば、コンビニでバイトを始めたことしかない。

「成美さん、あのね、私は違うと思うんだけど」
 桃子は本心からそう言いながらも、当時の記憶を整理すると、やはり今と同じような疑念を抱いていたことを思い出した。今日もあえて成美に助けを求めたのは、そのためだったのかもしれない。
「ブログを知ってて、住所を知ってる、そういうことで思い当たる男といえば――ああ、でもやっぱり違うと思うよお」
「誰かいるのね? いいから言ってみて。あくまで可能性なんだから」

「・・・・幸秀、かな」
 脳裏に浮かぶ二人の男のうち、一人だけの名を挙げた。もう一人の名を口にすることは、彼を信用していないような罪悪感を想起させ、できなかった。

 成美はしばらく両目を大きく開いて、桃子を凝視した。それからゆっくりと微笑んで、得心したように、ああ、なるほど、と小さく呟いてから言った。

「そうね。確かに当てはまるわね。でも、幸秀はあり得ないでしょう」
「そうだよね。やっぱりそんなことないよね」桃子も成美にあわせて微笑んだ。やっぱり自分の取り越し苦労だったと安心した。

「怪しいとすれば、むしろ蓮の方でしょう」
 その一言でむかっ腹が立った。
「なんでそうなるのよお!」
「なんというか、たぶん蓮は桃子ちゃんに気がありそうな感じだし――」
「蓮は、そんなに危ない人じゃないもん!」

 桃子は目の前のグラスを鷲掴みして、中のウーロン茶を一気に乾してから、乱暴に置いた。その音が予想よりも大きかったことで、驚くと同時に我に返った。
 後悔は後に立つ。迂闊にも過剰反応してしまった。

「桃子ちゃん、私、何か気に障ること言った?」成美が恐る恐る訊いてきた。
「べ、別に」桃子は成美の顔を見ないまま、何事もなかったように、できるだけ平然とした態度を取り繕って返事した。

「じゃあ、なに怒ってるの?」
「なんでもない。怒ってなんかないよ」

「ふーん」という、いつもよりハイトーンで神妙さに欠ける声が聞こえた後、微かにこたつが振動を始めた。見ると、成美が渾身の力を振り絞って笑いを堪えている姿があった。
 桃子の視線に気づくと、成美は小さく咳払いをして、姿勢を正した。必死に無表情を形作ろうとしているが、顔面の筋肉が緩みきって、出来損ないのアルカイックスマイルのような不細工になっていた。

 成美は流し目で桃子の視線を受け止め、意地悪そうに言った。
「単純に考えると、幸秀よりも蓮の方に動機があると思うわ」
 半ば遊ばれているという自覚はあっても、成美の意見を通す気にはどうしてもなれなくて、桃子はしなくてもいい反論をしてしまう。

「・・・・でも、それは、ないと、思う」
「どうしてそう思うの?」
「それは・・・・だから・・・・」
「理由があるなら、言ってもらわないと、私わからないわ」
「もう、なんでそんなに意地悪するの!」
「と、桃子ちゃんって可愛くて、面白いわ。も、もう我慢できない」
 成美は笑い転げてしまった。桃子は真っ赤な顔を膨らませたまま固まってしまった。

(その二につづく)




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